遠州の繊維の歴史
古くより静岡県の西部地域は遠江国(とおとうみのくに)と呼ばれてきました。今でいう遠州(えんしゅう)のことです。
この遠州一帯は江戸時代の中期以降、日本でも有数の綿花の生産地でした。そんな素地があるなか、1845年(弘化2年)、天保の改革で有名な当時の浜松藩主、水野忠邦が失脚し代わりに舘林藩(現群馬県館林市付近)から井上正春が転封して来ました。 井上正春は舘林より織機(しょっき)の技術を持ち帰りました。これが奏功し、遠州地域はそれまで以上に我が国における繊維の一大産地となり、綿花栽培、綿糸紡績、そして綿織物の織布が盛んになって行きました。遠州綿紬の誕生です。