注染・長板染め

連綿と続く繊維の産地「遠州」の伝統的な染色技法

連綿と続く繊維の産地「遠州」の
伝統的な染色技法

遠州綿紬

伝統と技術が特徴の遠州の繊維産業

伝統と技術が特徴の
遠州の繊維産業

お知らせ

  • 2021.03.20ホームページ開設いたしました。

遠州の繊維の歴史

古くより静岡県の西部地域は遠江国(とおとうみのくに)と呼ばれてきました。今でいう遠州(えんしゅう)のことです。
この遠州一帯は江戸時代の中期以降、日本でも有数の綿花の生産地でした。そんな素地があるなか、1845年(弘化2年)、天保の改革で有名な当時の浜松藩主、水野忠邦が失脚し代わりに舘林藩(現群馬県館林市付近)から井上正春が転封して来ました。 井上正春は舘林より織機(しょっき)の技術を持ち帰りました。これが奏功し、遠州地域はそれまで以上に我が国における繊維の一大産地となり、綿花栽培、綿糸紡績、そして綿織物の織布が盛んになって行きました。遠州綿紬の誕生です。

時代が下り明治期に入ってからも遠州繊維産地は、日本繊維産業界にとってエポックメイキングな流れを創り出し続けます。
1884年(明治17年)に当地初の洋式紡績工場が出来上がると、1898年(明治29年)には豊田佐吉が日本初の動力織機(力織機-りきしょっき-)を作ります。今のトヨタグループの創始者です。
1909年(明治42年)になるとスズキ自動車の創業者鈴木道雄が鈴木式織機製作所を創業。様々な織機を製造する中で改良を加え1920年(大正9年)に鈴木式織機株式会社を設立。1929年(昭和4年)に鈴木式サロン織機を発明し海外への輸出も伸ばしていきました。

豊田や鈴木の作った織機の導入などもあり、遠州地域では別珍やコールテン、ブロード、ポプリンなど様々な生地が織られるようになり、それらの生地は国内外から非常に高い評価を受けていたそうです。
しかし残念なことに労働集約性の高い産業である繊維産業は徐々にその製造現場を海外に移していくことになります。1980年代後半(昭和60年代以降)に入ると繊維製品の輸入は輸出を上回るようになります。

そんな中でも遠州綿紬のブランディングや、高度の技術をピンポイントでセールスすることによる新規の販路開拓を行うなど各事業者は今とこれからを見据えて遠州繊維産地を支えています。

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